不動産賃貸借におけるトラブルへの対応実務 -原状回復・建物改築時の明渡し・トラブルについて- vol. 2(現状回復費用)

■設例

建物(昭和40年代建築)のオーナーA社は、テナントBとCに事務所の用途でワンフロアを賃貸していたところ、同建物は、耐震診断の結果、耐震強度は新耐震の基準をおよそ満たしていないことが判明したので、この機会に新耐震基準を満たすビルに改築する計画を立てて、B、Cとの各契約を終了させる交渉をした。

(1)現状回復費用
Bは、A社からの賃貸借契約の解約申入れに異議を唱えることなく、賃借フロアの鍵を全て返還し、A社はこれを受け取った。
賃貸借契約書の原状回復条項としては、『原状回復工事は、床タイルカーペット貼替え、壁クロス貼替え、天井クロス貼替え、及び室内全体クリーニング仕上げ等の工事を基本として、賃借人の負担とする。』

『賃借人が本契約終了日までに原状回復を行わないときは、賃貸人は自ら原状回復措置をとることができ、その費用を賃借人に請求することができる。』との定めがあった。

しかし、Bは、原状回復をしなかったので、A社は、やむなく自分で原状回復工事を行い、その費用を敷金から差し引いたうえで残額の敷金の返還をした。これに対し、Bは、「A社の原状回復費用は経年劣化又は通常損耗分を含んでいるが、自分はそうした部分の負担をする義務はない。」と述べ、A社に対して、不足分の敷金の返還請求の訴訟を提起してきた。

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■解説

3. 契約自由の原則のもと賃借人が通常損耗についても原状回復義務を負担する合意は成立しているか

a. 最高裁平成17年12月16日判決

<大阪府住宅供給公社の個人への居住用賃貸の事例>

◆賃貸借契約の条項

契約終了・明渡し時の補修費用負担(原状回復)は、以下の場合いずれも賃借人が補修費用を負担する。『襖紙・障子紙については、汚損(手垢の汚れ、タバコの煤けなど生活することによる変色含む)・汚れ、各種床仕上材については、生活することによる変色、汚損、破損と認められるもの。各種壁・天井等仕上材については、生活することによる変色、汚損、破損』

(判決要旨)
賃貸借契約は、物件の使用とその対価たる賃料支払いを内容とする

物件の損耗の発生は、契約の本質上当然に予定されている

賃貸借において、通常損耗(賃借人が通常の使用をした場合に生じる物件の劣化又は価値の減少)にかかる投下資本の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませて、支払を受けることによる

賃借人に、通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、予期しない特別な負担を課すもの

賃借人が通常損耗について原状回復義務を負担するとの合意の成立には
ア)賃借人が補修費用を負担すべき通常損耗の範囲が、賃貸借契約の条項自体に具体的に明記されていること、又は
イ)賃貸人が口頭で説明し賃借人がそれを明確に認識し、合意の内容としたこと

により、通常損耗の補修の特約が明確に合意されていることを要する。

本件では、契約条項では、ア)は認められず、イ)の事実もない。
⇒ 通常損耗を除く原状回復費用の負担額を出すべく、原審に破棄差し戻し
※最高裁は、居住用に限定することなく賃貸借契約の一般論として述べ、事業用の賃貸借契約も射程に入ると考えられる。


b. 最高裁判決の後の下級審判例

[1] 賃借人が通常損耗=原状回復するとの合意の成立を肯定した判例

事業用賃貸借であり、特約条項での具体的な列挙や、テナント(会社)への書面による説明あることが、ポイント

<ア. 東京地裁平成18年4月25日判決>
賃貸人=会社、賃借人=会社 の例

◆賃貸借契約の条項

『本件契約終了の際は、その原因の如何にかかわらず、以下を含めて原状回復する。
・賃借人が使用した什器、追加した設備、改造、造作、模様替え等の諸設備を撤去し、
・撤去による建物の損傷箇所(荷物の搬入、搬出時の損傷箇所も含む)は、全て賃貸人の指示に従い、賃借人の費用をもって原状回復するものとし、その他、
・天井の吹き直し、天井・梁型・壁等のクロスの張替えまたはペンキ塗り、
・床カーペットの取替え(床フローリングの場合は補修または取替え)、
・木製巾木の場合は、既存の同等品取替え(化粧巾木の場合は取替え)、
・玄関ドア、木枠、回り縁等のペンキ塗り部分の室内塗装工事(既存仕様と同等品以上)
・サッシ及びガラスの清掃、台所・換気口の清掃、トイレ・浴室の清掃、バルコニーの清掃、照明設備の清掃(照明器具の取替え)、
・空調設備(パッケージ含む)の調整点検整備、空調設備(吐出口)の清掃、
・ガス器具の点検整備取替え、水道蛇口の損傷、配水管の詰り等の清掃』

⇒ ①通常損耗を含めた原状回復事項が具体的・限定的に列挙されることにより、賃借人が負担すべき通常損耗の範囲が明記されている。
加えて、②賃借人は、株式会社であって、賃貸借契約の内容には相当程度の注意を払ったであろうと考えられるので、契約締結時に特約条項を認識していなかったと認めるに足りる証拠がない。


<イ. 東京地裁平成23年6月30日判決>
賃貸人=不動産会社、賃借人=図書出版会社

◆賃貸借契約の条項

『この契約が終了するときは、賃借人は、保証金をもって○○条により賃借人が本件物件に設置した造作、内装その他の設備、物件を撤去し、且つその他の施設即ち床、壁を完全に新たにし、天井をペンキ塗装し、賃貸人の判断により備品、付属品に破損・異常あれば修理しあるいは清掃し、エアコンはオーバーホールし、本件物件を事実上の原形即ち入居時の状態に回復する。以上の措置は、賃貸人の監督のもとで、賃貸人が指定する業者が実施するものとする。』

⇒ 賃借人が補修費用を負担する原状回復工事の内容が具体的に定められているから、賃借人が補修費用を負担する通常損耗の範囲が契約条項に具体的に明記されている。また、当事者が読み合わせを行った上で契約書に調印している。しかも、賃借人は、契約書に記名押印する前に、重要事項説明により説明を受けた上で、記名押印している。→ 賃借人に通常損耗について原状回復義務を負わせる特約が明確に合意されている。


<ウ. 東京地裁平成28年10月25日判決>
賃貸人=不明、賃借人=自宅兼司法書士事務所として利用
特約による通常損耗による費用を賃借人が負担する合意の成否

◆賃貸借契約の条項

『退去時の本件建物の室内の天井、壁、床のクロス、カーペット、フローリング、クッションフロア、畳及びふすま等の張替補修、塗装及び交換の費用は賃借人の負担とする。ただし、経年劣化、自然損耗は除くものとし、この判断については両当事者の協議の上とする。』

・賃貸人の説明書面による説明と賃借人の署名押印

『ア. 賃貸借契約の一般原則によれば、経年劣化及び通常損耗の復旧については、賃貸人の費用負担で行い賃借人は費用を負担しないが、賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用などの賃借人の責に帰すべき事由による損耗有れば、賃借人はその復旧費用を負担する。
イ. 賃貸人と賃借人は、両者の合意により、退去時における損耗等の復旧について、ア.の一般原則とは異なる特約を定めることができ、本件賃貸借契約においては、以下の通りの特約を定める。
①退去時の室内クリーニング費用、エアコンクリーニング費用は、賃借人の負担とする。 ②当該特約で定めた以外の事項については、賃借人の負担は原則通りとする。(略)』

⇒ 室内クリーニング費用については、かかる合意においては、通常損耗の回復費用は賃貸人が負担するという一般原則の例外を定めるとの説明が賃借人になされているから、通常損耗の回復を含むものであっても賃借人が負担するとの特約が明確になされている。
⇒ エアコン内部洗浄費用についても、同様。
⇒ 壁面のクロスの張替費用については、通常損耗の回復費用は賃借人が負担するとの明確な特約がないから、通常損耗を超えた特別な損耗については賃借人が負担し、通常損耗の範囲内であれば、賃借人は負担しない。


<エ. 東京簡裁平成25年 和解成立>
賃貸人=会社、賃借人=会社 オフィス使用
和解 =賃借人は、賃貸人請求の原状回復費用の80%を一括払いすること。(賃貸人の勝訴に近い和解内容)

◆特約内容

『本契約が終了する際、賃借人は、下記に基づき賃借人の費用負担にて原状に復すものとする。下記以外の箇所及び細部については清掃及び補修が基本となり、保守上不可能な場合については新品と交換する。

床: タイルカーペット貼り替え(事務室・給湯室)、長尺シート貼り替え(トイレ)
壁: クロス及び吊木の貼り替え(事務室・給湯室・トイレ)
天井: 破損個所等の補修後、塗装(事務室・給湯室・トイレ)
窓枠: ドア等木部、鉄部塗装
蛍光灯: 交換(事務室・給湯室・トイレ)
空調機(室内機): フィルター清掃、吹出口清掃、室内機の洗浄
鍵及びカード: 賃借人が紛失した場合のみ全交換
パーティション: 賃借人が設置した場合は撤去
表示板: 名称の消込
その他: 賃借人が原状変更工事により移設、増設した設備等(配線コンセント、スプリンクラー、煙探知機等)は、工事前の状態へ復旧』

[2] 賃借人が通常損耗=原状回復するとの合意の成立を否定した判例

<東京簡裁平成21年4月10日判決>
賃貸人=個人、賃借人=会社

◆賃貸借契約の条項

『借主は、本貸室を事業用の事務室として賃借するため、解約時における原状回復工事は、床タイルカーペット貼替、壁クロス貼替、天井クロス貼替、及び室内全体クリーニング仕上げ等工事を基本として借主負担とする。』

⇒ 補修工事の具体的範囲、方法、程度等について何ら定めていないから、借主が負担することとなる通常損耗の範囲が一義的に明白とはいえない。



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